私は「人から嫌われる勇気」はありません。

例え嫌われる勇気や悪口への耐性があっても、人から嫌われたり悪口叩かれるのは気分が悪くなるものです。

でも、薬に副作用があるように、毒を持った花が見た目綺麗で目を引くように、好きと嫌いは切り離せないものなんですよね。

 

 

ブログでも掲示板とかでもSNSでも、「賛」「否」か。

どちらかをはっきりさせて、共感を強く持ってもらったり、議論を生み出すような話題が盛り上がります。

一部の人に強い共感を得るためには、強い否定も覚悟しなければならないわけで。

そしてたくさんコメントを貰うためには、自分から積極的に見てもらえるよう発信していかなければならないわけで。

「嫌われない道を選ぶ」というのは「好かれない道を選ぶ」というのと同等です。

 

 

嫌われない、というのは「毒にも薬にもならない」ということ。

例えば私は嫌われたくないあまりに、話題のニュースでも真相が掴めるまでは賛も否も書けないんですよね。みんながあーだこーだ議論を盛り上げているところでニコニコしながら「うんうん、どっちも言えるよねー」と頷いているだけな感じ。

政治の分野とかでも、出来るだけフラットに物事をとらえたいがために、賛も否もどちらも賛同を得られないような意見を言ってしまう。

でもそんな自分、嫌いじゃないんですけれどもね。

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「人から嫌われる勇気」っていうのは、

人から好かれる喜び > 人から嫌われる哀しみ

無視される恐怖 < 嫌われても良いから認知される

自分の素や意見を出したい > 分かってもらえなくても良い

これらの不等号式が成立する時だけに持てばいいと思うんです。

辛くてもこの不等号が成立しているうちは、「嫌われる勇気」を持っていると言って過言ではないですよね。

その不等号が崩れるようであれば、無理して人から嫌われる勇気を持つ必要はないと私は思います。

たとえ外で全然違う自分を演じてようと、自分が楽に思える方法なら、人から嫌われる勇気を持たなくても良いと思うんです。

 

私は「たくさんの人から嫌われる勇気」はありません。

でも、「好かれなくても良い耐性」はあるので、リアルでもSNSでも自分に無理しないスタンスで人付き合いは出来ているなと思います。

本当の意味で毒にも薬にもならない生き方って出来ないので、ほんの少し嫌われて、ほんの少し好かれる人生、そんな生き方をしています。